最近、二人の子どもたちとお風呂でこんな会話をした。
- 私 「幼稚園、楽しい?」
- 娘 「楽しいよ」
- 私 「そうかあ、たとえばどんなことが楽しいのー?」
- 娘 「えっとー、歌うたったり、踊ったりするのが楽しい」
- 私 「学校はどう?楽しい?」
- 息子 「楽しいよ」
- 私 「楽しいんだ、たとえばどんなことが楽しいのー?」
- 息子 「図工とか、体育の時間が楽しい」
- 息子 「パパはお仕事楽しい?」
- 私 「楽しいよ」
- 息子 「たとえば?」
- 私 「たとえば……。沈黙……。」
私の思いとして、仕事を楽しんでいたい、そして仕事は楽しいものだという姿を子どもたちに見せ、未来に希望をもたせたい、というものがある。
だから、仕事が楽しいか、という問いに対しては、「楽しい」と答えると決めている。
しかし、「たとえば」と問われると、途端に楽しい場面が出てこない……。
問われて、答えられなくて、気が付いた。今の私は、仕事が楽しいのではなく、仕事を楽しもうとしている状態なのである、と。
または、仕事が楽しいというよりは、仕事を楽しんでいる自分になろうとしている、のである。
無理しているとも言えるし、理想に近づこうと努力しているとも言える。
でも、今・この瞬間、楽しめているかいないかでいえば、楽しめていないのだろう。
たとえば、と問われると本当にそうなのかどうか、浮き彫りになる。
すごくパワーを持った問いだと感じた。子どもの感性とは、すごいものだ。
楽しい?と問われて楽しいと即答でき、たとえば?と問われて、答えがいくつも出てくるような人生に、していこうと思う。
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